雑記

23歳で網膜剥離になった話。

3年前、春、3月。
網膜剥離で手術をした。

世界中の皆さんに私と同じ思いをしてほしくないので網膜剥離について記したいと思います!!!

プロローグ


ある日突然視界の端に流れ星のようなキラッとした光が見えた。
ネットで即座になんでも調べるタイプの私は
「光 見える」などとググったりした。
ストレスも影響するとか書いてあったりしたし、とんでもなく楽観的な性格なので、「公演中で疲れてるから見えるだけやろ〜!知らんけど!」と放置。

普通に毎日公演をしていたが、日が経つにつれてあまりに異常な頻度で”流れ星”が流れ出して、公演の暗転中の暗闇の中にもビカビカ光って目障りの領域になった。

ようやくちょっとまずいなと思って普段ほとんど行かない眼科に行った。
ネットで調べた近くの眼科へ行き人生初の散瞳、眼底検査をした。
瞳孔を開く目薬を差して、20分ほどで瞳孔が開いて診察室へ呼ばれた。
先生は私の瞳をレンズで見て、

「網膜の様子が良くないです。県立病院の紹介状を書くのですぐに行ってください。上手くいけばレーザーで治るかもしれませんが手術になる可能性が高いです」と言った。

絶望的な知らせだったが、私はあんまりにも楽観的な性格なので、「いや〜、なんやかんやレーザーでいけるやろ!」などと思っていた。

県立病院へ


そして、すぐに予約をとって県立病院へ行き検査をした。
待合室はお年寄りばかりで、若い人は私以外に誰一人としていなかった。。。笑
そして、また眼底検査とカメラ検査をして、、かなり時間がかかって診察室に呼ばれた。

結果は「裂孔原生網膜剥離」と言われた。
しかも網膜の大事な部分まで剥がれていてこれ以上遅かったら失明していたと言われた…。
ひとまずレーザーをして網膜がくっつくかもしれないからレーザーやってみましょうと言われた。

痛いのが嫌いな私。(誰でもだよね)
先生に「レーザーって痛いですか?」と聞いて、「痛くないと思いますが痛かったら言ってください」と言われた。大きな音でバチバチといってて怖かったが痛くはなかった。

そして残念ながら私の網膜はくっついてくれなかった。

すぐに手術と言われた。
手術はなんと病院に10日くらい入院する大掛かりなタイプのやつだった。
しかも手術後は安静で、運動は半年もダメと言われた。タカラジェンヌなのに。

不幸中の幸いで、ちょうどコロナに差し掛かってて、公演など何もかもが止まり始めた時だったから公演を休演などにはならなかった。
手術だしもちろん失敗のリスクはある。
失敗した場合は、失明もありえる。
成功しても、斜視になったり、文字が歪んで見えたままもある。と言われた。

目だけ麻酔して色々見えたまま手術しますって言われて、怖すぎて全身麻酔にしてくださいと懇願して全身麻酔にしてもらった。

そして家に帰って怖すぎて泣いた。笑

入院準備

人生初の入院だった。
とりあえずiPadとか暇潰すものを用意してみた。
優しい同期たちが手術頑張ってねと寄せ書きをくれた。
さらに泣いた。笑
網膜剥離は絶対安静で、運動も走るのもダメだし、とにかく頭を揺らすなと言われていたので、なるべく動かないように入院まで過ごした。

入院そして手術

入院した。
病院食は味が薄い割に何故か高カロリーで、動いちゃダメなのに3食ちゃんとくる。
でも暇だしやることもないので食べる。笑
手術前日は断食で、水だけ飲んで良かったような気がする。
これは多分全身麻酔だったからかな?

そして手術の前に血栓防止ソックスを履いて手術用の服に着替えさせられて、給食のおばちゃんみたいな帽子をかぶって、歩いて手術室に行き、自分で手術台に寝た。

何故か手術現場は和気藹々としていて、お料理教室みたいに楽しそうだった😱笑

※イメージです


そして麻酔を入れられて、和気藹々としたまま「お酒強いですか〜?」などと言われてる間に寝落ちして、長い眠りから覚めたら、自分の入院の部屋にいた。

目覚めた時から目が激痛だった…。
この世の終わりか、生き地獄かというくらいの激痛だった。
しばらくして先生が来て、手術は成功したと言われて安心した。

だが、目が痛すぎて寝たいのに寝られない。
目の中をスプーンでぐりぐりほじくられてるかのような痛み。耐えられないほど痛かった。

ナースさんを呼んで、睡眠薬と痛み止めをもらって、睡眠薬を飲んだらかろうじて眠れた。でも目覚めるたびに激痛。痛み止めと睡眠薬で耐える日々。
痛すぎて自然に涙が出てくる。痛み止めを飲んでもあんまり変わらない。
2、3日本当に本当に激痛だった。

ボブ

私の手術は「強膜バックリング」という手術法だった。
もう一種類、硝子体手術というものがあるが、強膜バックリングは若い人の場合に選ばれるようで、硝子体手術は手術後にずっとうつ伏せ寝の生活をしないといけなかったりそちらもそちらで大変なよう。

強膜バックリングとは、眼球の白眼部分にシリコンスポンジを縫い付けて抑えるという手術法で、私の白眼部分にはシリコンスポンジが縫い付けられた。

シリコンスポンジ→ということで名前はスポンジボブさんから二文字頂いて「ボブ」と命名した。
シリコンスポンジはさないで一生一緒に過ごし続けることになると県立病院で言われた。
でも先日行った眼科で外してもいいと思いますって言われたから、外していいみたいで今後どうなるかはわからない。
けど、外すのも外すので大変そうだし、今のところボブとはこれからも過ごすつもりでいる。

目が真っ赤っか

手術後は毎日何度も何種類も目薬をささなきゃダメだった。
その度に眼帯を外すんだけど、恐ろしく目が真っ赤っかだった。笑

お見舞いに来てくれた友人や同期や下級生がたくさん心配してくれた。
心配というかもはや引いていた。と思う。笑

この真っ赤っかは1ヶ月くらいしたら消えた気がする。
手術直後は目を保護しないといけないから洗顔もろくにできなくて、洗髪も看護婦さんがいないとできなくて辛かった。
そのせいで入院生活中は肌が荒れた。笑

退院そして定期検診

暇すぎる入院生活を終えて、無事に退院になった。

退院しても家に帰って運動もできないし、やることもないし一生暇だった。
二種類×1日4回の目薬だけはちゃんと差し続けた。

定期検診が二週間後、1ヶ月、1ヶ月後、2ヶ月後、みたいにどんどん幅が広くなって、ついに完治しました。と言われて無事私の網膜剥離の治療は終わった。

今は、完治したけど、私の左目は細かいエクセルの表は歪んで見えるし、光視症は相変わらずひどいし、ボブは瞼のしたでボコッとしてるし、色々と残ってしまった。

私からのメッセージ

全世界のご自身の目が健康とお考えの皆様へ。
若くても網膜剥離になります。

強度近視だと網膜剥離のリスクが上がるようで、ボクシングなどの格闘技をしている人だけがかかる病気ではありません。

私は網膜剥離になる前、コンタクトレンズを買うときに一生ネットショッピングで買って、ろくに眼科にも行ってませんでした。6年くらいはいってなかったと思います。
こういう方!すっごく多いと思います。

ですが、網膜剥離患者としては、是非眼科に行っていただきたい。定期検査をしていただきたい。
私はもう少しでも、眼科に行くのが早ければレーザーで治せていたかもしれなかった。
網膜剥離にかかって辛い思いをする人が一人でも減ったらいいと思います。


先日実は光視症の流れ星がまたひどくなった気がして、不安で眼科に行った。

でも網膜はちゃんと完全にくっついてたみたいで、問題はなくて安心した。
これからも流れ星とボブとは一生共に過ごすことになりそうだ。

花城さあや